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火星や月の画像を検証してみます。NASAなどの画像を検証すると不思議なものがいっぱいです。建造物に見えるものや生物のようなもの。過去の文明のなごりなのか?とか疑問がいっぱい!! 画像はクリックすると拡大します。 https://twitter.com/andromeda048 You Tubeにも動画をアップしています。 https://www.youtube.com/channel/UCpb8PaqUIAQjs2SgA6ZmuLA
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  • 05/08/05:02

04.22.14:59

「宇宙人だった彼と 不思議な体験」09

9)
あるときは勤めているビルの廊下にいきなり異次元の穴?みたいなものができて、そこからどこかに行ったようです。

そういう時は壁や床がふにゃふにゃな生き物のようになって沈み込む感じになるそうです。こんにゃくやゼリーのような感触かもしれませんね。

「あれ!床が動いてきて沈んできた。壁もふにゃふにゃだよ」
「なんだ!これ!捕まって埋まっていくよ」
という感じだそうです。

埋まって行っても 特に苦しい感じはないそうですが。

いずれの場合も地下鉄みたいなものに乗ると飲み物を出されて、途中から意識は朦朧となり記憶が抜けてしまっていました。
大抵は帰ってからしばらく寝てしまい、3時間ぐらいボーとしていましたね。

これから考えられることは、「ムーさん」は人間の身体そのままで移動したのでしょうか。

一度は地下鉄風のものに乗ると上からドームのようなものが降りてきて、液体で満たされたようです。初めはちょっと苦しかったけれどすぐものすごく楽になって気持ちよかったそうです。

いろいろな方の他の星に行ったという体験談を読むとたいていUFOに乗って移動したり、幽体離脱の形で移動したりしているようですが、ムーさんの場合はどうも話を聞く限りでは、地下鉄のような乗り場から地下鉄風の乗り物に乗って実体として移動したようです。

また乗り場には様々な人種?の人たちが待っていたということから、ETの方々が共同で利用する乗り物だったのかも知れません。

その地下鉄風の降り口は、歩いていく先々で出てくることから、様々なレベルの宇宙人がいると思いますが、高度な宇宙人にとっては、異次元の空間はどこにでも開けられるということでしょうか。まるで「どこでもドア」ですね。

彼を呼び込んだ人たちは話の感じでは グレイタイプのようですがもっと色が白く150cmぐらいの目の大きい人やウンモ星人・人間と同じタイプ・又鬼のように角のある人もいたような感じです。

今から25~6年前の話ですが、その頃で地球に飛来している宇宙人の種類は20~30種類ぐらいはいると思うと言っていました。
どこから来ているのかについては100種類ぐらいはあるんじゃないかな という話でした。

札幌でさえ地下鉄(?)に並ぶぐらいの人数(多分15~20名 もっとかな?)が飛来して常時活動しているということでしょうか。考えると不思議ですね。

もしかしたらどこかでETと遭遇しているかも知れないと考えると本当にワクワクします。

今考えるとこの地下鉄?は もしかしたら地球の地下世界に通じていた可能性もありますね。
あるいはどこかでUFOなどに乗り換えて、そこからまた宇宙のどこかに移動するなんていう方法もあるのかもしれません。

私も一度はそういう経験をしてみたいな なんて思いますけれど・・


当時の住んでいた家から手稲山方向を写した写真ですが、絹目にして失敗しました。
葉巻型UFOなどが写っています。

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04.12.01:12

「宇宙人だった彼と 不思議な体験」08

8)
私は「ムーさん」は絶対宇宙人だと確信していたので、その頃しょっちゅういなくなりフラフラになって戻って来た時、催眠術のように静かにいろいろ聞いて見ました。

とにかく理由もなく何時間も突然いなくなり、帰ってくるなり寝てしまう状態が続いていたのです。

その頃仕事は大きなビルのボイラーマンをしていましたが、そんなに疲れるような仕事ではないし、とにかく様子が変なのです。

ボイラーの仕事はそれまでしたことが無かったのですが、ボイラー特級と熱管理士の資格を持っていたので、その頃陶芸の研究にお金がかかったためボイラー技士の仕事を見つけたのでした。

とにかく仕事は忙しくなく普通なら仕事が終わってからどこかに探索にいったり、陶芸の準備をしたりするのですが、3時間ぐらい戻らなくて、戻ったと思ったらふらふらになっていてあっという間に寝てしまう状況が続いていたのです。

食事も取らず起きるとまた仕事に行くという生活で、健康も心配でしたし本当に普段と何か違う感じでした。

それで思い切って ふらふらな状態のときに催眠術のように聞いてみようと思ったのです。

「仕事はちゃんとしてきたの?」
「うん 普通にしたよ」

「何か変わったことはなかった?」
「う~~ん 仕事中に・・・なんだか床がね」
「床が揺れてるんだ・・地震あったみたい」

「地震はなかったよ」
「ふ~~ん でも揺れてたよ」

「それから 何かあった?」
「なんだかぼーっとする・・」

「まだ 寝ないでね」

朦朧としています。

「仕事の後は どこかに行っていたの?」
「地下鉄に乗っていたよ」

「今まで ずっと?」
「うん・・・そうみたい」

「それ どこからどこまで?」
「うん それが不思議なんだよね・・」

「すすきのを歩いていると、道の横に穴があいて地下鉄の入口みたいなんだけど、こんなところにないし」

「そこには入らなかったのね」
「うん・・でもそれから歩いていると、又入口があって階段があるから、降りて行った」

「え~~っ!降りたの?そんな所に地下鉄の入口はないよ」
「うん・・・でも地下鉄の入口みたい・・」

「そこ降りたら地下鉄だったの?」
「うん・・・人が並んでるから 地下鉄」

「だけど待ってる人が・・なんだか変だなあ」

「待ってる人がいたの?」
「どんな風に変なの?」

「皆 人の顔をじろじろ見るんだよね。わざわざ覗き込みに来るの」
「それに普通の人の顔じゃなくて目が大きくて・・」
「色がいろいろなんだ」

「どんな色?」
「白い人と灰色の人もいるけど 真っ赤な顔の人もいる。」

「たくさんいたの?」
「う・・・20人ぐらいかな・・」
「あ 地下鉄きた・・」

「それから地下鉄に乗ったの?」
「うん。地下鉄だと思うけど なんだか変だな・・」

「どんな風に?」
「甘い飲み物をくれた・・・おいしい」

「眠たい・・・」

「もうちょっとだから・・・どこを通ってるの?」
「わからない・・・でも 岩盤が見えてる。トンネルみたい」

少し寝てしまいました。

「起きて」

「どこに行っていたか覚えてる?」
「う~~ん!分からないけど大分遠く・・・月・・・違うかな・・ほかの星?分からないなあ。でも途中沢山星が見えたよ・・地球ではないなあ・・空がグリーンだ」
・・・・・

しばらくぼーっとしています。
「駅についたみたい。ここどこかな?24軒駅かな・・・」

「乗り越したの?」
「でも歩いても歩いても出口がないんだ。疲れてきた」

「あっ!壁の向こう側を昇っている人がいる・・・いたっ!壁にぶつかった」
頭をぶつけたみたいです。

「何キロも歩いてるんだけど・・・」
「あれ、壁をすり抜けたかな・・・」

ということで帰ってきたみたいです。

この後熟睡モードに入りました。
ちなみにこの時は3~4時間いなくなったようです。

こういうことがしょっちゅう起きていました。



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04.09.02:33

「宇宙人だった彼と 不思議な体験」07

7)
「ムーさん」の話では石狩湾は隕石の落下跡ではないかということでした。
早速仲間でその証拠を探そうかということになって、周辺の川などを探査しに行きました。

日本はどこでもそうですが大きな地震や地殻変動がありすぎ、仮に宝石などがあっても、その地殻変動によって地下深くに入り込み粉々に砕けていたり、熱で変性していたりで質が良く大きなものがないのが現状です。

北海道では日高山脈は逆に隆起しているので、たまに地下から出てくる宝石などが見つかったりします。ダイヤの原石を拾ったという人もいたそうです。

ともかく近くの山の沢などを探索して見ると、厚田というところがあってそこにテクタイトと思われる隕石落下に伴うグリーン系のガラス状の細かい粒がたくさんあったのです。最近ではジェムストーンとしてアクセサリーなどにも使われていますね。

又隕石落下の年代と思われる層(イリジウムを含んだ層)や新種の鉱物と思われる多量の金を含んだ瑪瑙状の石も発見しました。

これは家に持って帰ってムーさんが湿式分析をやって金を取り出したのですが、今まで聞いたこともない含有率でした。

ちなみに北海道の中央あたりの多度志というところは、昔イリドスミンという白金属が採れたそうです。

皆それじゃあということになって勇んで探しに行きましたが、同じ場所ではなかなか見つかりませんでした。

地形がすり鉢状のところだったので、金は重いためどんどん地下深くに埋没していったのかも知れません。または皆欲を出したので隠れてしまったのかもしれませんね。

だってあまりの含有率に皆で拾ってくれば、少しはお金になると考えていたからです。その頃はみんな貧乏でしたから。。

その近くでは砂金も取れました。それも石の隙間に挟まっていたり、5gぐらいある粒も見つけたのです。
今でも行ければ多分採れると思いますが、はるか昔には相当金があったのだと思います。

最近その近くを通ったのですが、トンネルが出来ていて近くまで行ける道路がなくなっていました。
あそこの金はまた長い眠りについたのでしょう。

又その当たりの砂や適当に拾ってきた石などを顕微鏡で調べると、様々な色の小さなサファイヤの粒が無数にありました。そこにはかってサファイヤがごろごろしていたのではないかと思います。

比重や硬度を調べることによりサファイヤと分かったのですが、あれだけ沢山のサファイヤが入っていることを考えると、地球自体の全てが平和で優しい時代だったのでしょうか。顕微鏡で見るサファイヤは本当にきれいでしたよ。

その頃は皆で夢を追っていたという実感がありましたね。
毎日毎日私の家には仲間が集まってああでもない、こうでもないと不思議な話で盛り上がっていました。

私は話を聞きながら、皆のためにお料理をたくさん作っていましたね。男性ばかりでしたから下手なお料理でも喜んで食べてくれましたし、おかげで私のお料理の腕も少しは上がったと思います。

それに探検に行くと鉱物だけではなく、山や川に行くので山菜などもついでに採ってきます。山菜など採ったことはなかったので、山菜取りの楽しみも山菜のおいしさも知ることができました。

タラの芽や山ウド・フキやわらびなど、それにきのこや山ぶどう・コクワの実(これはキウイを小さくしたもの)も皆で採りに行きました。

私はそれまではインテリアデザインなどの仕事もあり、あまり山などは行ったことが無かったのですが、自然のものはなんでも本当においしくてびっくりしました。

山を駆けずり回って 山ウドやきのこなどがあった時は嬉しくて歓声を上げましたね。
ムーさんと一緒に何か探しに行くと 必ずいろいろなものが沢山採れるのです。
今でも山の斜面に落葉キノコが ぽこぽこ並んで生えている場面を思い出します。

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04.04.22:59

「宇宙人だった彼と 不思議な体験」06

6)
そのころは金鉱石や銀鉱石を拾ってきては 湿式分析をして金や銀を取り出したりして遊んでいました。けっこういろいろな場所に落ちているものです。

金鉱石は大体銀黒と呼ばれる これが金鉱石なのというような結構地味な石が多いです。ほかに白い石英質の中に入っているのもありました。

又私たちは今まで聞いたことのない 金を含んだメノウのような石も見つけました。

金は5gほど取り出したりしたでしょうか。せっかく取り出した金は お引越しを繰り返すうちにどこかにいってしまいました。残念。。。

金よりも湿式分析に使う薬品のほうが高いようなほんとにお遊びですが、楽しかったですね。
皆でわいわい言いながら石を探したり、実験をしたり、今思うとムーさんを中心に学生の集まりのようでした。

ムーさんは主に川辺の石から そこに転石(?)という鉱脈を含んだ石を見つけその辺の地質や地形から、ある場所を判断していたようです。

一緒に探検などに行くと、ちょっとした崖なども降りて調べていました。
調べるついでに、よくきれいなメノウや碧玉など採ってきてくれました。

鉱物や結晶について彼にはずいぶん教えてもらいました。特に金の分離のピリジン法というのがあって金の結晶ができていく様子を見せてくれたのですが、本当に鉱物が生きているのを実感できるようでした。

それは何もないところから同じ原子が一つ一つ寄り集まってきて次第に分子になり、目に見える大きさの結晶に成長していくのです。まるで植物が芽から茎がでて葉が茂り、木に成長していくのと同じでした。

何故同じ原子が自然に集まってきて例えば水晶になったりフローライトの結晶になったり、金になったりダイヤになったりするのか?
考えてみると不思議ですね。

これは同じ性質のものは寄りあつまるという 全てに当てはまる原理だと思いますが、同じ原子同士にはテレパシーのようなものがあるのかもしれませんね。

私たちも気の合う人は直観ですぐ分かったりしますし、一瞬でこの人とは合わないと感じたりする場合があります。

飛躍しますが、そう考えるとスピリチュアルで類魂と呼ばれるものも同じ原理だと考えられます。

これは同じような性質の魂が寄り集まっているとされる考え方で、そこから生まれ変わったりするので、その類魂の中にいる他の魂の過去生などの記憶も無意識の中に保存されていたりすると言われています。

またその類魂はその上にまた大きな類魂がありそこに繋がっていて、またその上には同じように繋がっていると考えられているようです。

つまりは突き詰めていくと人は すべて一つの大きな類魂の塊から派生しているということになります。
ですから全ての人は 魂のどこかで繋がっていると考えられます。

こういう考え方で行くと、考え方や感覚の違う人たちとも、ある程度分かり合えるのかもしれませんね。



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03.29.02:03

「宇宙人だった彼と 不思議な体験」05

5)
彼には超能力がありスプーン曲げなんかも簡単にできましたが、100m以上も離れたところから「あそこにめのうがあるから拾って行こう」とか、「ここを掘ってごらん」と言われて掘ると色々な石があるのです。
 
目が望遠になったり顕微鏡的になったりするらしいのです。なんとも便利ですね。

ある日彼と友人たちと一緒に夕張のほうの川を探査に出かけました。
熊に注意という立札がありましたね。

私たちは浅い川に入って石を拾ったり割ってみたりいろいろしていましたが、鉱物系の石は見つかりませんでした。もともと夕張は石炭を採掘していたため、石炭のできそこないのようなものは若干ありましたが、そうそう見つかるわけもありません。

ムーさんは粘土を探してビニール袋にたくさん採っていれていました。

川を歩きながら探すのですが、崖のところで「ここに水晶があるから掘ってごらん」とムーさんが言います。
川の一方が崖になっていて粘土質の土だったので、小さなシャベルでも簡単に掘れました。

私ともう一人で崖を掘ると長さ10㎝ぐらいの水晶の結晶がまず出てきました。「え~~!!ほんとにあった~~」と2人で興奮しながら掘っていくと、最終的には水晶2個ときれいなフローライトの結晶が6個出てきました。

おもはず歓声をあげましたね。
「え~~!ムーさんどうして分かったの?」とつい聞いてしまいましたけれど、ムーさんは「うん 教えてくれたんだよ」とのことでした。ムーさんは鉱物と会話ができたということでしょうか。


フローライトの結晶は八面体結晶でダイヤモンドと同じ結晶です。色はブルー系やグリーン系でとてもきれいでした。

大事に家に持って帰って飾っていましたが、不思議なことに数日後には一緒に持って帰った粘土の中から出てきたりしてだんだん増えてくるのです。これには本当にびっくり。

毎日増えているか確かめるのが楽しみでしたね。

最終的には15個ぐらいになりました。最後にはおまけみたいに特大のフローライトの結晶がきました。沢山あるのは2cm角ぐらい、最後に来た大きいのは5cm角ぐらいの大きさです。

不思議でしようがありませんでしたが、崖から取ってきたフローライトの兄弟が、「一緒にいたい」と言って、飛んでついてきてくれたのかも知れません。

枕元に置いて「よく来てくれたね」嬉しくて毎日にこにこしながら眺めていました。

半分以上友達に上げてしまいましたが、今でも残りは大事に取ってあります。
今でもどうして増えたのか分かりませんが、こういうこともあるのですね。

もしかしたら鉱物も無機質と言われていますが、感情や意識があって兄弟と同じところに行かなくちゃと思って来てくれたのかもしれないと思っています。
フローライトの淡いグリーンの石は 私のリングにしてあります。



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03.22.22:26

「宇宙人だった彼と 不思議な体験」04

4)
一度私の家族と一緒に山菜取りやドライブに行ったとき、野原で「ムーさん」はきれいな鳥多分「ノビタキ」を見つけ、「捕まえたい」「ちょっと行ってくる」と言って、飛んでいる小鳥をあっという間に捕まえて戻ってきました。

私の目にはひらりと飛んだように見えました。

捕まえた小鳥を大事そうに帽子の中にいれ、得意そうに「きれいでしょ」と言って見せます。「どうするの?」と聞くとほんとに嬉しそうに「飼うんだ」と言います。

母が「その鳥は野生の鳥だから飼ってもすぐ死ぬと思うから、野生のままが幸せなんじゃない?」と意見をすると、本当に情けない顔をしてしぶしぶいかにも残念そうに野原に返してあげました。

その時の彼の表情は 宇宙年齢5歳ぐらいの子供の顔でしたね。


彼は小鳥が好きで以前「めじろ」を捕まえて飼っていたそうですが、ずいぶんなついてくれて指に止まるほどだったそうです。

後日談としてしばらく後、今度は小鳥のほうから飛び込んできてくれるということがありました。

これは「ノビタキ」ではなく、鶯科のけっこう地味な小鳥でしたが、わざわざ「ムーさん」の車に飛び込んできたのだそうです。

その小鳥は私の家で飼いましたが、3日ほどで馴れ始め家の中を低空で飛び回っていました。水浴びがとても好きな小鳥で、気がつくとお鍋の中で水浴びしていたり、可愛かったですね。

その小鳥は私が油絵を描くためのテレピン油の揮発が悪かったようで、2ヶ月ぐらいで亡くなりました。やはり野にあるものは野に・・
ということでしょうか。


他にも私は蝶々やトンボが好きで、皆でいつもの探検などに行くときは虫網を持っていっていました。ミヤマカラスアゲハという黒字にネオンブルーなどの色が入っているとてもきれいな蝶々を追いかけていたことがあったのですが、その蝶々はすごく早くて捕まえられないでいました。

一度ムーさんに「ミヤマカラスアゲハを捕まえたいわ」と言った1週間ぐらい後に、車で山の中を走っている途中何かがぶつかってきました。

ムーさんが何だろうねと言って見に行くと、ミヤマカラスアゲハがひっくり返っていたそうで、持ってきてくれました。

またギンヤンマやオニヤンマなども捕まえてくれましたが、とんぼはあの目のすばらしいブルーは死ぬと色が徐々に無くなりました。

ムーさんは私が蝶々が好きなので、珍しいメネラウスモルフォ蝶などが入った標本額をプレゼントしてくれて、それは今でも飾ってあります。

自然が作り上げた植物も虫も動物も みなそれぞれ美しいし、その営みもまた不思議な自然のリズムに則っていますね。

きれいな小鳥や虫たちを捕まえたくなるのも、その不思議さを知りたいという欲求の一つかもしれません。

今考えるとムーさんは ある意味引き寄せのパワーを持っていたのかもしれませんね。何か欲しいものがあると、何故か側にあったり来ていたりしていましたから。

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03.16.01:17

「宇宙人だった彼と 不思議な体験」03

3)
仮に「ムーさん」と呼びます。
20歳年上の方で初めて会った時見た目はどうってことないおじさんだったのに、自分でもこれは変だと思うぐらい、目に見えない強い力で引き寄せられました。

きれいなガラス類が非常に好きな人でお昼休みなどになるとしょっちゅうお店に来ていました。何度かの来店の時には もう友達にならなくちゃだめだわと思ってしまいました。

間もなく宇宙の話やUFOの話などをするうちに彼の博識のすごさに、この人はただものではないと直感しました。

特に天文や鉱物についての知識は初めて聞くようなものが多く、30年前ですでに宇宙の始まりの根源は泡のようなものという話をしていました。

また次元は多次元で自分のすぐそばに違う次元があるんだよ というような話を聞いたり、毎日会ってお茶を出しながら、天文や地質学や宝石の話や微生物のお話などを聞くのが楽しみでしようがありませんでした。

お話の仕方もとても上手だったのです。

そのうち彼の友人たちとUFO観測に行ったり、鉱物の探査に行くようになりました。皆私と同年輩の男性ばかりでしたが、「ムーさん」に多大な信頼をおいているようで、いつも彼にいろいろ聞いては様々な問題について話し合っていました。

そのうちの一人は北海道でUFO情報センターを立ち上げた福田さんという方で、「ムー」にもたまに寄稿し地元のTVなどにも出ていました。

そのメンバーでUFO観測に行った時には、生まれて初めてピンクのUFOがふらふらと飛んでいるのを見ることができました。

「ムーさん」は地質や鉱物学、結晶学・高分子・化学・生物などについての知識はそのへんの大学教授もついていけないのではないかと思うほどでした。

南方熊楠の話を聞いたのもそのころです。
粘菌の不思議な特性を聞いて植物と動物のあいまいさや、菌類においても知性を感じさせる存在があることに畏怖の念を覚えました。

粘菌のできかたは人間でいうと頭脳の部分や足の部分など、それぞれが分担し役割を担って一つの粘菌になるそうです。考えれば合理的ですね。

菌類は何千種類もあるのですが、菌類がなければ倒れた木の山で埋め尽くされたり、ものは腐らず、地球は住めなくなってしまうことや、有機物を無機物に変換してくれる生物のサイクルなども教わりました。


又近代の栄養学の偏重はかえって様々な病気を生むことも話していました。
人間の体には食べたものから様々な栄養を作り出す能力があり、特に日本人はお米と漬物や梅干それに納豆などそれに新鮮な果物を少し食べれば大丈夫だよとも言っていましたね。

江戸時代の人はおにぎりと漬物とお味噌汁で、それこそ何十キロも歩いたりしていますしね。なるほどと思いましたが、実行は難しいですね。

それに彼も言う割に お魚もお肉も好きでなんでも食べていましたけれど・・・


その頃からエイズなど今までなかった病気が出てきましたけれど、これらは類人猿や動物や鳥など人間が普段触れることができなかったものに触れたり食べたりする機会が増えたためだということでした。

特に昆虫は未知のウイルスをたくさん持っていて、私が変わった昆虫だと思って触ろうとすると、「ちょっと待って」とけっこう厳しく止められた覚えがあります。触っても大丈夫なものとダメなものとがあるそうです。

これは地理病理学とか比較病理学というのだそうです。

そして「ムーさん」は顕微鏡的な目をしていたので、細菌が見えていたのかもしれません。見ようと思うと人の体もレントゲンのように透かして見ることができると言っていました。

そう言われると「いつも見られてるのかな」なんて思いましたが、それを見透かしたように、「見ようと思わなかったら普段は見えてないから」と言われました。
それにしても便利な目です。

オーラなども簡単に見えていたのかもしれませんね。

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03.12.01:42

「宇宙人だった彼と 不思議な体験」02

2)

私は小さい頃から毎晩夜空の星星を見上げて郷愁を感じたり、道を歩いても石も生きているから踏まないように歩いたり、毎晩空を飛ぶ夢ばかり見ている子供でした。

その夢は今でも鮮明に覚えていますが、下には色とりどりの宝石が敷き詰められた道があるのです。
空は明るくバラ色で広大な大地はず~っと地平まで平野が広がっていて、私はのんびりと寝そべりながら空に浮かんでいるのでした。夢から覚めるのがいやでしたね。

父は教師だったので貧乏でしたが 本だけは日本文学全集や外国の文学大系などが沢山有り、片っ端からむさぼるように読んでいましたが、往々にして現実と本の世界と混同するようなことがありました。
しかしそれらは私の人間形成の助けになったと思います。

弟は神童と言われるほど頭が良くおまけに勝気で、自分が勝たないと絶対止めないし泣き喚くので、その頃から勝ちを譲ることなどで勝ち負けにもこだわらなくなりました。
勉学では3歳下の弟にかなわなかったのですが、音楽や絵画や書や詩など感性を磨くほうが自分には合っていることを知りました。

教育者の父は勉強より自然の中で人はいろいろと学ぶことができると考えている人で、小さい頃から弟と私を自転車に乗せてよく自然の中で思い切り遊ばせてくれました。

夏になると魚釣りやバッタ取り、木に登ったり真っ黒になって遊んでいました。
ちょうちょやバッタの青虫など採ってきて、籠に入れて育てたものです。
冬はスキーをかついで近くの山に連れて行ってくれ、一日中スキーを滑ったりしていました。

母は素晴らしい人でなんでも出来、誰にでも優しくて厳しいながら寛容で 私の一番の理解者だったと思います。

私の特性をよく理解し小さい頃から音楽やバレエ、書など習わせてくれ、私の特性を伸ばしてくれたと思います。中学生までの洋服は全部母の手作りで、今でもどんな洋服だったか鮮明に覚えています。
そのような環境の中で育ち、貧乏でしたが心は豊かに成長させてもらったと本当に心から感謝しています。


20歳前半インテリアデザインを仕事とし、結婚して主人と一緒に会社を作りました。仕事は順調で札幌でもけっこう大きな事務所となり、随分店舗デザインやインテリアデザインなどをやっていました。

20代後半ぐらいから UFOの話題が出てきて興味を持ち「ムー」などの雑誌を読んだりしていました。「ムー」は毎月発刊されるのが待ち遠しかったですね。

その頃はたまに矢追さんのTVでの特集があったり、UFO関連の本などが出ると夢中になって読んで、絶対宇宙には知的生命体がいて、この地球にも昔から飛来していると感じていました。

その頃はまだまだ「自分の目で見てみたい」とUFOに憧れていたものです。
夢には必ず宇宙から大切な人が来てくれるというような、半分乙女チックな夢ばかり見ていたと思います。

又様々な海外のSF小説は 下手な哲学書よりずっと哲学的だと思っていましたし、実際にありうると感じていました。
地球の科学は毎年のように新説が現れたり常に変化して、現在の科学が絶対とは到底言えなかったからです。

今かってのSF世界のことが現実のこととして沢山現れてきています。
パラレルワールドや時空のねじれやタイムマシン、ワームホールなど。

そのころはまだ科学万能という風潮だったと思うのですが、絵画や詩・音楽などのアートをやっているうちにアートと科学はどこかで通じていなければならないのではないかと考えていました。
勿論哲学や精神的なものも。

双方が合いまってこそ本当の科学になるのではないかと。

もともと小さいころから地球上のすべてのものは地球も含めて生きていて意識があると考えていましたが、この地球はどこもかしこも生命で埋めつくされているのがとても不思議でした。

何故こんなにたくさんの種類の生物が密集しているのか。。

その生物全てが生存競争を日々繰り返している というのは、自分も含めてなんとも不思議で哀れでなりませんでした。
この意味はなんなのか という疑問。

そして人間については個人個人の運命の違いに加えて 生まれてくる国の運命も考えると、カルマについての考察も現代のスピリチュアル系で考えられているような結論に達しました。

して偶然というのはありえないと。自分で選択して生まれてくると考えるほうが、ずっと論理的です。

又人は何故より良く又より進歩しようとするのかという疑問。


そういう頃 結婚生活が破綻し一人で自活しなければならず、インテリアコーディネーターとして就職しました。
そこでお店に来た彼と出会ったのです。

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03.10.00:52

「宇宙人だった彼と 不思議な体験」連載

今から30年ほど前に経験した不思議な体験をお話しします。

ずっと人には話したことがなかったのですが、3年ほど前にmixiの友人だけに日記として掲載しておりました。昨今のUFO情報・ET情報の開示など徐々にこういうお話もしてもだいじょうぶかなと思い、公開することにしました。
10年以上続いたのでけっこう長いお話になりますが、興味のある方はご覧ください。


始まり

その頃は離婚して一人暮らしをしていました。
いつものように仕事からスーパーに寄って買い物をして帰ってくると、何故か窓が少し開いていました。
マンションの11Fなので開いていても心配はいらないのですが、一人暮らしなので出かけるときは絶対閉めて出かけます。

変だなと思って窓を閉めてそのへんを見ると、大きな白い石英の石が真っ二つに割れて、その裂け目に今までなかった大きな水晶が挟まっていました。長さが15cmぐらいあるでしょうか。

とってもきれいでしたが勿論私のものではありません。「え~~~!どうしたんだろう?」と思いましたが、水晶が大きくてきれいだったので石英の石が割れた理由はあまり気になりませんでした。

どこから来たのかしらと思いながら「誰も家の鍵は持ってないし・・・」と訳がわからないながら、「誰か宇宙の人がプレゼントしてくれたかも」と勝手に解釈しました。
そして奥の方に行くと 今度は又大切にしていた大きな石が粉々に崩れて落ちていました。

石英の石ももう一つの石も「ムーさん」と友人4人で小樽の方の川に鉱物を探しに行って拾ってきた石で大好きで飾ってあったのです。

その粉々になった石を見ているうちに 無性に悲しくなって自分でもびっくりするほど泣き始めました。
石も可愛そうだし、別れた夫も可愛そうだし、自然の草や木々もかわいそうだし、地球も動物も虫たちも皆かわいそうになって、延々と涙が溢れてくるのです。

今までそんなに泣いたことがなかったほど、自分でもびっくりするぐらい涙が止まらないのです。
30分ほど泣いたでしょうか、なんだか急に西の窓の方に行きたくなって行ってみました。

家の窓からは札幌市の西側の山々が一望できました。
近くには藻岩山・円山 遠くには手稲山など、マンションの11Fにあるため眺望は非常によかったのです。
その日は9月15日で天気は晴れていて夜になっても雲はほとんどなく、初秋らしい涼しい日でした。

空を見ていると突然北のほうの空が虹色に光りました。
「なんだろう?雷かしら」と思いましたが音はしません。
又オレンジ色の光が走りました。
今度は西側の山の上で。又花火のように閃光と光が広がりました。

それから 延々と3時間夜中の12時ぐらいまで 西から北の空は様々な色でオーロラか花火のように光り続けたのです。

光の競演といってもいいぐらい、様々な色黄色からオレンジ、赤、グリーン、きれいな明るいブルー、紫 形も稲妻のようなものもあれば、楕円形に光るもの、花火のように放射状に光るもの、2箇所で呼応して光るもの、気がつくとさっきまで悲しくて泣いていたのがあまりに綺麗で一人でにこにこ笑って見ていました。

このような光は今まで見たことがありません。

まるで光の言葉と芸術で私を元気づけてくれたような感じでした。
この光の競演はあまりも美しかったので 今でも強烈に記憶に残っているし、その時にスケッチを描いて残しています。

次の日あれだけの様々な色の光が3時間も光り続けたことについて、新聞に載るはずだと思い調べましたが何も載っていませんでした。
下の階の友人やUFO情報センターの友人にも聞いてみたがそんな光は見ていないということでした。
もちろんニュースにもなりませんでした。

誰も見ていないし雷では決してないと思っているし、音もしないし遠雷でもありません。特殊なオーロラのようなものだったとしたら 必ずニュースになっているはずです。

なんであったか今でも分かりませんが、私が石が粉々に砕けて泣いているのを見て、宇宙人が慰めてくれたのだろうと、勝手に解釈しています。

そのような光はほんの少しだけもう一度見たことがあります。でも非常に短時間でとても遠くに見えました。

その挟まっていた水晶は今でも大切に持っていますが、これが始まりでした。



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